教室、指導者プロフィール

(教室プロフィール)

板橋区の戸建ての一つのスペースで開催している自然健康教室です。

呼吸法、ヨーガ、瞑想、自然健康体操、自然健康運動を行っております。

宇宙のエネルギー、力に逆らわず、自然の流れを考慮して、

出来るだけシンプルにやさしく、

どなたにでも適応するよう行っております。

単なる体だけの健康を求めるのではなく、

心の持ち方を重要視し、

心身の健康を求め、

豊かで明るい人生を目指せるようにと教室を開催しています。

大手の有名な教室ではなく、町の小さな個人の教室ですので、

どうぞお気軽に門を叩いてください。

笑顔をもってお待ちしております。


板橋の自然健康ヨーガ教室主催 守屋雅彦


(指導者プロフィール)

◆守屋雅彦

*2005~2006年「ヨーガ・インストラクター養成コース」受講、終了。

*2005年、2007年、2008年とヨーガ修行の為、

*インド、リシケーシのアーシュラム滞在。

*ヨーガ哲学の様々な講坐を受講。

*2006年、2007年、代官山のヨーガスタジオにてヨーガ指導。

*2006年~2012年の6年間、地元の公民館にてヨーガ教室を開催。

*2012年5月から現在の場所に移動し、

*現在まで同教室にてヨーガ指導を行う。

◆守屋亜紀

*経歴は夫同様。

*2007年~2011年の5年間、横浜のヨーガスタジオにてヨーガ指導。

*現在は、当教室にてシニアクラス担当。

*他に各種のイベント、出張レッスンを行う。

~インストラクターから~

「私のヨーガとの出会いは、ある一冊のヨーガの雑誌でした。

きれいにポーズをとっているモデルさんの姿が表紙になっており、

今思い返してみると、なぜこの雑誌を手にしたのか、

そして今、手元にあるのか分かりません。

しかしその雑誌の中で、

レジェンド・サーファー、ジェリー・ロペスの記事が掲載されていました。

ヨーガを知る以前からジェリー・ロペスは知っており、

ジェリーのナチュラルな感覚にはとても魅かれていました。

サーファーであるジェリーは、ヨーガも既に何十年実践しています。

そんなジェリーの記事の中で、

「ボクはどんなビッグ・ウェーブに乗っても、いつも大丈夫だって思っていた。

人生のゴールは、生きながらにして

死や痛み、悲しみ、老化、病気から解放され、そして再生する、

ここに到達することじゃないだろうか。

ボクはヨーガと出会って、真実と自分の本質を発見し、

自分は不死であるという認識を持った。

だから死への恐怖を感じることがないんだと思う。

同時に、魂は不死であることに気づき、

至高の存在=神と一体であることを認識した。

これこそがヨーガの目標で、ヨーガのサイエンスは真実を見つけだし、

経験するための具体的メソッドなんだ。

真実は感覚を超越し、心と知性が機能することをやめた時、初めて経験される。」

「ヨーガは、すぐに表れる肉体的、精神的な利益の他に、

あなたを自己発見の道へと招き入れてくれる。

ヨーガは、自分を、そして人生を変える事ができる。

そしてヨーガの素晴らしいところは、

いつでもどこでもすべての人へ開かれた道だということだ」

この文から、ヨーガの寛容さ、強さを感じ、

読んだその時からヨーガに興味を持ち、ヨーガの道を探し始めました。

話は少しヨーガから変わりますが、

私がこれまでに本気で一生懸命やった事の一つに「走る」という事があります。

小さい頃から水泳、剣道、野球と体を動かす事をしていたのですが、

そのどれもが自らやりたくてやっていたというよりは、

親の意向で強制的にやらされていた感がありました。

小さい頃から走るのが速かった事もあり、

それが唯一の自信あることでもありました。

それが中学、高校の6年間、

陸上競技の短距離を行ったという経験につながります。

中学1年の時には、これまで負けた事のなかった走る事に関して、

初めて負けるという経験をしました。

その経験は、未熟な者の浅はかな自信を持つ少年にとっては、

とてもショックなものがありました。

現実を少しずつ知り、中学の3年をかけて、

崩壊した自信を一つずつ積み上げるように、ひたすら練習に打ち込みました。

2年、3年生の時には、全国大会出場の権利を獲得し、

3年生の時は、都大会の決勝の常連組に入り、

そして地元地域で新記録も樹立することが出来ました。

しかし高校に進学してから思うような結果を残す事が出来ず、

私の現役のベストタイムは中学3年時のものという事で、

陸上の競技人生を終えました。

その6年の中で一度だけ‘柔は剛を制す’という体験をしました。

中学3年生時の地元の大会で新記録を出した時の事です。

この地域の大会では、1年の時から負け知らずで走ってきました。

そして3年生の最後の地元地域の大会。

前日に体調を崩して体温が上がり、

翌日も体に力を込めようとしても、力が入らない状態でした。

当時、板橋区内では、負けたくないというよりは、

負けられないという気持ちがあったので、

この力が入らないという状態は、精神的にとても不安にさせるものでした。

予選。スタートを切った時に、案の定、力が入らず、

頭の中で‘駄目だ’と過ぎるか過らないかの瞬間、

自分の意思とは全く関係ないところで、全身脱力してしまいました。

それでも他の選手が前に出る事はなく、結局トップでゴールしました。

そしてその時のタイムが、自分の自己ベストと同タイム。

脱力した走りでなぜあのタイムが出たのだろう?

頭では考えても分かりませんでした。

しかしリラックスが大事だという事は、3年間の競技経験から学んでいたので、

決勝では、心の不安はどこかに消え去り、スタート後、迷いなく、全身を脱力し、

その中で予選より速く身体を動かそうとしました。

それがうまくいったのか、結果は自己ベストタイムで優勝。

このレースが、私の中で最も速いタイムで走り、

それが私の現役時代のベスト記録となりました。

以後、何度もレースで走り、あの脱力感を再現しようと努めたのですが、

意図的な行為は、ベストなパフォーマンスにつながりませんでした。

あれから30年以上が過ぎ、数年前から再び走り始めたのですが、

未だにあの感覚が身体に残ってはいるのですが、再現は出来ません。

再び走り始めたのは、

高校の3年間の挫折したまま競技を離れた、不完全燃焼からによるものです。

現在は、現役時代の様に追い込む事は全くないし、

あの時の様に速く走れる事はありませんが、

それでも当時は気が付けなかった事も沢山感じ、発見しています。

高校卒業と共に陸上競技とも別れを告げた時には、

競技に対する精神的なものは、中学の3年間が最も充実していたと感じていました。

しかし今考えると、高校の挫折した経験があったからこそ新たな発見があり、

改めて、‘自分は本当に走る事が好きなのだ’

と胸を張って言える事が出来るのだという事が分かった時、

高校の3年間も私にとっては、必要だったのだと思えるようになりました。

古いヨーガも説かれていて有名な『バガヴァッド・ギーター』に

‘黄金も土塊も同じくみよ’という一説があります。

この言葉との出会いにより、

あの6年間は、全てが大事だったと心に受け止める事が出来たのだと思います。

出会ったジェリーの言葉の意味は、

まだ本当には分かっていませんし、経験もしていません。

でもヨーガを真面目に学ぶと、

身体の具合だけでなく、人生の助けになる様々な教えに出合います。

私がヨーガを学び始めてから20年近く経ちますが、

一日たりとも探求から気持ちが離れたことがありません。

それは、ヨーガというのが、身体だけに目を向けるのではなく、

人生全てに関わっているものなのだと知ったからです。

何をするのにも、どんな苦労があっても、どんなに苦悩しても、

ヨーガは関わっています。

そしてそこから学べるものが必ず隠されている、そう思っています。

だから私はヨーガを学び続けています。

守屋雅彦